p.13 [2]の訳

 今ではもう昔の話であるが,阿蘇の何がしという史があった。背丈は低かったが,肝っ玉はなかなかのくせものであったということだ。家は西の京にあったが,(ある日)公務があって宮中に参上して,夜が更けて家に帰ろうとしたところ,(内裏の)東の御門から出て,牛車に乗って東大宮大路を南に下って進ませて行ったのであるが,(なぜか)着ていた装束をみな脱いで,片っ端からみな畳んで,車の敷物の下にきちんと置いて,その上に(再び)敷物を敷くと,史は冠をかぶり下沓だけを履いて,裸になって車の中に座っていた。
 そうして,二条大路から西の方へ(牛車を)進ませていくと,美福門のあたりを通り過ぎる頃に,盗人が脇の方からばらばらと出てきた。(盗人たちは)車の轅に取り付いて,牛飼童を打ち据えたので,童は牛を棄てて逃げてしまった。牛車の後ろに二,三人いた下男も,みな逃げ去ってしまった。盗人が近寄って来て,車の簾を引き開けて見ると,裸で史が座っていたので,盗人は驚きあきれたことだと思って,「これはどうしたことだ」と尋ねると,「東の大宮大路でこのように(裸に)なってしまった。君達が寄って来て,私の装束をみなお取りになってしまいました」と笏を手に持って,高貴な人にでも申し上げるようにかしこまって答えたので,盗人は笑って(裸の史を)うち捨てて去ってしまった。その後,史が声を上げて牛飼童を呼んだところ,みな出て来た。そこから家に帰ったのだった。
 さて,(家に戻った史が)妻にこのことを語ったところ,妻が言うには「あなたは,盗人にもまさった心(の持ち主)でいらっしゃいますね」と言って笑った。本当にたいそう恐るべき心(の持ち主)である。装束をみな脱いで隠し置いて,そんなふうに(盗人に)言ってやろうと思った心の準備は,まったく(並みの)人が思い付くようなことではない。
 この史は,とくに優れた口達者であったので,このように言ったのであろう,という話である。
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