p.30の訳

 月日は永遠の旅客であり,来ては過ぎる年もまた旅人である。(船頭となって)舟の上に一生を浮かべる者,(馬子となって)馬のくつわをとりながら老いを迎える者は,毎日が旅であり旅を自らの生活の場所としている。(西行・宗祇・李白・杜甫など風雅の)先人も多くが旅の途上で死んでいる。私もいつの頃からか,ちぎれ雲を吹き飛ばす風に誘われて,あてどのない旅に出たい気持ちを抑えられず,海のほとりをさすらい,去年の秋,隅田川のほとりにあるもとのあばら家に戻り,古巣を払いのけたりなどしている内にその年も暮れ,春の空に霞が立ちこめるようになると,白河の関を越えたいと思い,(気持ちを急き立てる)そぞろ神がついて狂おしい心境になり,道祖神の招きにあい,取るものも手に付かず,ももひきの破れを繕い,笠の紐をつけかえ,足を健脚にするという三里のツボに灸を据えるなど(旅の支度を)するうちに,まずは松島の月の風情が心に浮かんできて抑えられず,今まで住んでいた庵は人に譲って,弟子の杉風の別荘に移つるに際し,
「この住み慣れた草庵も,娘がいてひな祭りを家族で祝う新しいあるじに住み替わることになった。それに対して自分はあてどのない旅に出ようとしている」
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