p.44 [1]の訳

 孫左衛門の家では,ある日梨の木のまわりに見慣れない茸がたくさん生えた。食べようか食べてはいけないかと男たちが相談しているのを聞いて,最後の代の孫左衛門は,食べない方がよいと制したが,下男の一人が,「どんな茸も水桶の中に入れておがらでよくかき回してから食べれば決してあたらない」と言うので,一同はこの言葉にしたがって家中の者全員が茸を食べた。七歳の女の子はその日外に出て遊びに夢中になって,昼飯を食べに帰るのを忘れたために助かった。突然の主人の死によって人々が動転している間に,遠い親類や近い親類の人々,あるいは,生前に貸し付けがあったと言い,あるいは約束があったと称して,家財は味噌の類までも持ち去ってしまったので,この村の創始者で財産家であったが,たちまちのうちに跡形もなくなってしまった。
戻る

富士教育