p.46 [1]の訳

 まだ宇多院がお住まいあそばしていた時分,夜中頃に,御所の西側の別棟にあった納戸風の部屋の戸を開けて,そよそよと音を立てて人が参るように宇多院はお思いになられたので,その方を御覧になったところ,正装の束帯をきちんと身に着けた人が,太刀を腰に帯び,笏を持って,柱の間二つ分程下がって,かしこまって座っていた。(宇多院が)「お前はだれだ」とお尋ねになると,(その者は)「ここのあるじである年寄りでございます」と答えた。そこで(宇多院が)「融の大臣か」とお尋ねになると,(その者は)「さようでございます」と答えた。更に「それでは何の用か」とおっしゃると,(源融は)「わが家なので住んでおりますが,院がおいでになるのが恐れ多く,気づまりでございます」と申し上げたので,(宇多院は,)「それは全くもって妙なことである。故融大臣(お前)の子孫が私に与えてくれたので,私はこうして住んでいるのである。私が無理に家を奪って居すわっているのなら,文句を言ってもよいが,礼儀もわきまえず,なぜこのように恨むのか」と,声高らかに仰ったところ,(源融の霊は)かき消すようにいなくなった。そのことを聞いた当時の人々は,「やはり帝は他とは違ってしっかりしていらっしゃるお方である。(ふつうの人は,その大臣の霊に会って,)そんなふうに毅然とした態度で,しっかりと言えるだろうか」と話したのだった。
戻る

富士教育